いくらこの世的に頭がよく、秀才だと思っていても、真理を知らないのは愚かなことです。
『太陽の法』の第一章4「有限と無限」には、亀のたとえ話が説かれています。
世界の大きさをはかるために、自らの足跡をもとに測ろうとした亀の話しです。
先生がこのたとえで諭されようとしているのが、この世的にいくら頭がいいと言われようと、唯物論となって真理を知らなければ、愚か者であるという事でしょう。
科学者はこの物質世界のみを探求し、世界を知ろうとしていますが、私たちの住む物質世界というものは、実相世界からすれば、ほんの金魚の住む水槽の世界のようなものに過ぎないのです。
外界には広大な世界が展開されていますが、生まれてよりずっと水槽に住んでいる金魚にすれば、その水槽そのものが世界のように見えます。
ですので、その水槽の事さえ分かっておれば、金魚は世界の事が分かったように勘違いしますが、実際にはほんの一部の世界の、その一部しか理解できているに過ぎません。
先生も『太陽の法』でお説きになられていますが、我々の住む三次元の物質世界は、ほんの小さな水たまりのような世界に過ぎず、それを包み込む広大な多次元世界が展開されているのです。
それを物質世界だけ探求した科学者などが、あの世や魂を否定するのは愚かという事です。
唯物論も一つの信仰であって、あの世は無い、物しかないという信仰なのです。
それを証明するものなど無いのです。
ですが現代の学問をしたものには、この唯物論信仰者が数多く生まれています。
この世でいくら頭がよいと言われたり、大学の教授をしたり、世界的な学者と言われようと、あの世がある事も知らず、後進の者たちを自分と同じ唯物論に染めていくなら、その者は後世悔いることになります。
あの世に帰れば、この世での名誉など何の意味もなしません。
いくら大層な賞をたくさん頂き、称賛されようとも、真理を知らず、間違った真理を広めたるものは、地獄へと落ちてしまいます。
あるいは死後も自分が死んだことさえ分からず、この世に留まり続け、子孫に憑りついて不幸を拡大したり、地縛霊となって自宅や墓に縛られる哀れな存在となります。
それがこの世では頭がよいとされてきた者の哀れな死後の姿です。
そうならないためにも、謙虚になって真理を学ぶ姿勢を持つ事が大切でしょう。
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