2021年3月13日土曜日

聖書に予言された救世主の降臨

キリスト教の新約聖書には、将来、救世主が降臨されるという予言が残されています。

 救世主降臨いついては、新約聖書の最後に収録されている「ヨハネの黙示録」が特に重要です。

「ヨハネの黙示録」はパトモス島にいるヨハネという人物(十二使徒やヨハネの福音書の著者とは違う人物とされる)が見た、未来に起こる幻視を書いたものとされています。

これによると人類の未来に起こるとされる恐るべき災厄や、それと共に救世主が降臨される終末の時が描かれています。

恐怖の予言だけではなく、主の降臨とともに”最後の審判”がなされ、善良な者たちが救いに預かるという希望的な部分も書かれています。

つまり黙示録で示された時期には主の降臨と、人類の危機とが同時に訪れると述べているのです。

「ヨハネの黙示録」には救世主の降臨が以下のように書かれています。

『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。』

『今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」』

『あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。』

ここで議論が分かれるところですが、黙示録に描かれた降臨される救世主とは、キリスト教ではイエス様の再臨という風に理解される事があります。

ですが黙示録にそう書かれているわけでは無く、もともと全能者にして主なる神というのは、イエス様の事ではなく、イエス様を遣わされ、イエス様ご自身が天の父と呼ばれた方の降臨という事です。

その存在を示すキーワードとして『わたしはアルパであり、オメガである』という言葉があります。

これについては後ほど真実をお伝えいたします。

今は黙示録に描かれている主というのは、イエス・キリストではなく、イエス様を使わされた天の父を指しているとして話を進めます。

天の父は、様々な使いを地上に送られましたが、地上の者達は彼らを迫害していきました。

これが預言者たちです。

そして天の父は、自らの愛する息子を使わされました。

「自分の才愛の息子を送れば、地上の人は敬ってくれるだろう」と願います。

この最愛の息子というのがイエス様であり、結果はご存知の通り、人々は彼を捕らえて十字架に磔にし殺してしまいました。

そして最後には、イエス様を使わされた天の父自らが降臨されるのです。

それこそがヨハネの黙示録で現される真実です。

上記に引用した文にもあるように、降臨した主は、人々によって刺し通される、つまり地上の人々から受け入れられず、非難されたり攻撃を受けることがある事を示しています。

地上にある人間たちは、まさか天の父が降臨するなど思いもよらず、主を受け入れず迫害してしまいます。

それが初めの頃に書かれていて、地上にある人々が主を受け入れなかったときには、黙示録に記された、様々な災いが人類に降りかかってくることを示しているのです。

人々が降臨された主を受け入れなかった時には、黙示録に記された様な数々の大災厄が人類に降りかかってくることを暗示しています。

地上にある人々が、降臨された主を受け入れる事がいかに大切であるかを示します。

あなたは救世主の降臨を信じず、悪の側である反キリストに加担するのか、それとも降臨された救世主を迎え入れるかを選択しなくてはなりません。


黙示録には、七つの霊や、七つの教会、七つの燭台、七つの星など、主を示す印として七という数がよく出てきます。

それに対して、反キリストともいえる獣の数字として666が言われていて、そちらのほうが有名かもしれません。

有名なオカルト映画の『オーメン』という作品にも、悪魔の生まれ変わりである人物の頭には、髪の毛に隠れて666の数字が書かれてありました。

つまり反キリストである獣は6の象徴で表され、主は7で象徴されると言うことです。

降臨された救世主には、7の数字が印としてあるはずだと言えます。

それは誕生日であったり名前に記されているのかも知れません。

ちなみに私が降臨された救世主と思う大川隆法先生は、7月7日にお生まれになっています。


次に主の降臨の地を示すと思われる記述を取り上げてみます。

『玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。

また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。

第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。

この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、

全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」』

主の御座の前には上記の四つの生き物がいたと黙示録には記されています。

一面に目があったというのは、ただの動物ではなく、それは大勢の人間の住む土地を示しているのだと思われます。

このヨハネの黙示録に描かれた、主の御座の周りにいる四つの生き物とは、日本の四国を意味していると指摘する者もいます


四国のそれぞれの県が四つの生き物を表しているということです。

徳島県が獅子のようであり、香川県が若い牡牛、愛媛県が人の横顔のようであり、高知県は翼を広げた鷲のようだとするものです。

つまり降臨される主は、日本の四国にお生まれになられるという事です。

そして大川総裁は、四国の徳島県のご出身です。

四国は不思議な土地で、空海は四国の八十八箇所を巡るお遍路をされていますが、まるで四国全体を巨大な結界で張り巡らせているように感じられます。

それは主の降臨を整えるための儀式であったのかもしれません。


さらに降臨された主の大きな特徴と言えるものを示した文章があります。

『死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。』

上記の文からは、降臨された主は、次々と死んだものの霊を呼び出し、生前の思いや行いなどの仕業に応じて裁きをおこなわれることが示されています。

大いなる者も小さき者も、つまり、偉大な業績をあげた有名人も、あまり知られていないような者もともに、主の前に呼び出されて判定されると取れます。

これはつまり死者を呼び出して霊言をされるという事を現わしています。

ヨハネの黙示録だけでなく、ノストラダムスの予言詩にも、「千年紀(西暦千年や二千年等)の大きな年からそう離れていない時に、死者が墓場からよみがえるだろう」という詩があります。(詩百篇第10巻74番)

大川総裁は数多くの霊言を表し、歴史上の数々の偉人だけでなく、現代の政治家や有名人、一般には知られていない人の霊まで呼び出し、膨大な数の霊言を霊界の証明として残されています。

未だかつてこれほどの霊言がなされたことは無く、黙示録に描かれていたことが現実になった時はないです。

それもまた終末の世に降臨される救世主の印でもあります。

大川総裁は、多くの人々に気づきを与えるために、そうした大いなる印をお示しになられました。

このように降臨される主の幾つかの特色が黙示録には記されていると読み取ることが出来ます。


そして「わたしはアルファ(Α)でありオメガ(Ω)である」という言葉を紹介しました。

これはギリシャ語の最初の文字と最後の文字を表しています。

英語であれば”A”からはじまり”Z”で終わります。

この言葉の意味とは何でしょうか?

実は「アルファでありオメガである」という言葉を示す神様が存在します。

それはヘルメス・トリスメギストスという神であり、エジプトで信仰された三倍偉大なヘルメスという名の神です。

このヘルメス・トリスメギストスは錬金術の祖とも言われ、有名な「上にあるものが下にあるもののごとし」という言葉がります。


上記の図はヘルメス・トリスメギストスを描いたもので、手が上と下を指示しています。

ヘルメスと言うと日本人の認識では、ギリシャ神話に出てくるゼウスの息子であるというものでは無いでしょうか?

ですが他のギリシャの神は敬われていませんが、ヘルメスはエジプトのトートという智慧の神と同一視されて信仰されています。

このギリシャのヘルメスにも、姿は若いものが多いですが、手を天と地に向けている像があります。


この上と下を両手で指した像には、日本人なら何か思い浮かべるものが無いでしょうか?

それは仏陀=お釈迦様のお生まれになった時の姿を描写したものです。


そう、これは釈尊がお生まれになってから、天と地を指して「天上天下唯我独尊」と宣言されたとする姿をあらわしたものです。

「天上天下唯我独尊」とは、天上世界である神々のなかでも、天下の地上の人間の中にも、自分より尊いものはいないと宣言した言葉です。

「アルファでありオメガであるもの」と通じるものは感じ取れるでしょう。

実はヘルメス・トリスメギストスこそイエスが天の父と呼んだ存在であり、そして東洋ではお釈迦様としてお生まれになった仏陀を表していたのです。

ヘルメス・トリスメギストスがイエスの述べた天の父だと古の秘教では語り継がれており、さらに仏陀と同一存在であることが知られていました。

つまりキリスト教に言う救世主の降臨は、仏陀再誕を意味しているのです。

仏陀再誕については「仏教で予言された仏陀再誕」の記事を参照ください。

大川隆法先生は、ヘルメスも仏陀の魂の一部であると教えを説かれていますが、古代の秘教の教えからしても、それは真実だと裏図けられるものです。

コロナ過に苦しむ現代は、ヨハネの黙示録に示された終末の時を迎えていると言えますが、人類にさらなる大災厄が降りかかるのか、あるいは大いなる福音となるのか、それは人々が主を受け入れるかどうかにかかってくるのでしょう。

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